本の紹介「予想どおりに不合理 ~行動経済学が明かすあなたがそれを選ぶわけ」
by 野田直人
予想どおりに不合理人間の行動が、経済学によくある「常に経済的に合理的」という仮説とは異なり、いかに不合理かを、大真面目なのに結構笑える実験結果から解き明かす本。しかも、単に「人間の行動は不合理」と指摘しているだけでなく、「不合理さは予想できる」としているのが面白いところです。
かなり、いろいろな話題が凝縮されており、消費者の値段に対する反応に関しての実験などもありますから、ビジネス関係の人が見ても「なるほど!」と、思うところは多いでしょう。
国際協力関係の人も共通して面白いと思ったのは、人の意思決定の要因には市場規範(market norm)と社会規範(social norm)がある、という点。そしてこの二つが拮抗しているということ。
実は私自身、『タンザナイト』という、初めて書いた単行本にも、「モラルかエコノミックスか」というようなタイトルの文を書いたことがありました。
モラルはそのまま社会規範ですし、エコノミックスは市場規範です。
「予想どおりに不合理」に書かれている例に、奉仕をしている人の活動に、対価を支払おうとすると、奉仕をしている人は不愉快になる、というものがあります。
つまり活動の動機は社会規範に基づいているのに対し、市場規範で測られるのが不快、ということなのでしょう。
私が「タンザナイト」に書いた例は逆でした。それは、途上国の人たちが純粋に市場規範に基づいて行うことを、国際協力に出かけた日本人が社会規範に反すると判断して摩擦を生じさせてしまう、という例でした。
途上国では、他人の持ち物を無断で使うことが、かなり頻繁にあります。これを一般的な日本人はモラルが低い、と判断します。つまり社会規範にのっとっておかしいと考えがちです。
ところが当の途上国の人たちは、「使われていないものの機会費用は、所有者にとってゼロ」と、経済指標、経済的合理性で判断しているようなのです。
考えてみると、社会規範と市場規範のずれはあちらこちらに見られることに気づきます。
前回の記事で、インターンがドタキャンするなど、責任感が低いという話。インターンやボランティアは無報酬ですから、社会規範にのっとって参加していると考えがちです。
ところが、もしインターンやボランティアが「金銭以外に得られる具体的なもの」を目的としていたらどうでしょうか。
その場合、何を選択するかは「同じ時間を使って他に得られるもの」との比較になりますから、経済的に有利と考える他のオプションがあれば、彼らはドタキャンでもするのではないでしょうか。つまり、インターンやボランティアであっても、市場規範にのっとっている可能性があるのです。
試しにインターンやボランティアに「報酬を払う」と言ってみましょう。喜んで受け取るのであれば、その人が基づいているのは社会規範ではなく、市場規範である可能性が高いです。
逆にプロフェッショナルの評価の高さは、「信頼性」で決まります。信頼性は相手の期待を裏切らないということ。となると、プロフェッショナルは社会規範に基づいている、ということでしょうか。
無報酬のインターンやボランティアの行動が市場規範に基づいていて、高報酬のプロフェッショナルが社会規範に基づいている、というのは一般的な認識とは矛盾しているかもしれません。
実際のところはインターンにしろ、プロフェッショナルと呼ばれる人にしろ、「人それぞれ」でしょう。要は「自分の持つステレオタイプで測らないようにしよう」「モラルを疑う前に、使っている規範のずれを疑おう」というのが、教訓かと思います。
その人がどう呼ばれているかにかかわらず、市場規範に基づいている人には市場規範で、社会規範に基づいている人には社会規範で対応する必要がある、ということですね。
もう一つこの本で指摘されているのは、アメリカに端を発した経済問題です。経済危機が起きる前に、市場規範のみに基づき、社会規範をないがしろにしているアメリカ企業の体質に警鐘を鳴らしています。きっとこれも筆者にとっては、「予想どおりに不合理」な結末だったのでしょう。
当社、(有)人の森も、国際協力関係の人からは「なぜNPOを作らず、企業にしたのですか」と聞かれることがあります。
NPOは社会規範に、企業は市場規範に基づく、というイメージが強いからでしょうか。当社では、組織の形態は合理性に基づくものであって、特定の規範を代表しているとは考えていません。企業も市場も、利用すべきツールであると思っています。
次回には、この延長で、ムハマド・ユヌス氏の「貧困のない世界を創る-ソーシャル・ビジネスと新しい資本主義」を紹介できたらと考えています。